遺言書:いつか書こうはトラブルの元
福岡県福岡市に住む幸子さんのご主人は、2年間癌で闘病生活を送っていました。77歳。人生100年時代にしては、まだまだお若いと思います。「いつかは、お別れの日が来るかもしれない」そんな覚悟をしていましたが、ある日医師より「あと10日もつかどうか・・」と、ついに宣告を受けました。
■夫婦の馴れ初め
とても一人では耐えられず、東京新宿区に住む一人娘の早紀さんに連絡。早紀さんは生まれたばかりの孫を連れて飛んできてくれました。「お父さん、お父さん」声を掛けると「早紀、母さんのことは頼むぞ」そんな風に言われて、涙が止まらなくなり、ず~と手を握りしめていました。幸子さんはその二人をみて「幸せだ」と心より感謝の気持ちと涙が溢れたそうです。なぜならば、早紀さんは幸子さんの連れ子。元夫は借金を作り家庭を省みず、早紀さんへの養育費も支払わないような男でした。離婚をして苦労をしているところ、共通の友人を通して知り合った二人は意気投合。ほどなく、入籍をしました。その時、早紀さんは小学校6年生。20年間本当の親子のように過ごしました。
■プチ家族ミーティング
ベッドの上で苦しんでいる父と別れ、早紀さんの夫も仕事を片付けて福岡まで駆けつけてくれました。自宅に帰り母娘が意気消沈しているところ、早紀さんの夫より「お義父さんは再婚でしたが別れた奥さんとの間に、子どもはいないのですか?」急にそんな話になりました。実は夫には30年間音信不通の子どもが2人いたのです。そして、二人が住んでいた福岡市内のマンションは夫の単独名義。もし、夫が亡くなったら、当然そのマンションは幸子さんのものになると思っていました。というより、夫は元気な頃から「幸子と私は10歳も歳が離れているから、私が死んだ後、幸子のことが心配だ。だからマンションは、早々に早紀に渡しておきたい」常々そんなことを言っていたのです。小さな会社でしたが、会社役員として定年まで勤め上げた夫は、責任感がある男性です。幸子さんはいつも何でも夫任せ、頼れる存在でした。婿の話によると「前妻との子どもにも相続の権利がある」「その子たちの相続分に対して、支払う現金はあるのか?」資産はマンションと、現金1千万円と生命保険1千万円。そのお金を使ってしまったら、幸子さんの老後資金が足りません。果たしてどうしたらよいのでしょうか?
■相続診断士へ相談
婿殿は、翌日東京にいる知人の相続診断士へ電話相談をしました。相談した内容は下記の2つです。
- 30年間会っていなくても元妻との間の子どもも、相続人になるのか?
⇒はい、なります!会ってないというのは、何の理由にもなりません。
- 早紀は相続人にはなれないのか?義父は、早紀にマンションは渡したいと言っている。
⇒遺言書があれば、100%にはならないが相続はできる。
2年間療養生活をしていた夫は、本来下記の2つを実行すると家族には話していたそうです。1つ目は、早紀が結婚前に養子縁組をして自分の戸籍から嫁に出すこと。2つ目は、公正証書遺言を書くこと。しかし「いつか書こう」と言ってそのままになってしまいました。
その時、幸子が「そうだ!お父さんメモ書きで遺言書の練習をしていた」と言い出し、夫の書斎の引き出しから『遺言書』をみつけました。そこには「私の財産全てを、妻 幸子へ相続する」と書かれ、日付と署名がありました。
■限られた時間でできることはごくわずか
相続診断士から紹介された、福岡市内の行政書士が病院まで来てくれました。本来は、公正証書遺言を病室で書きたかったのですが、医師に話したところドクターストップ。その日は高熱に見舞われて、とても苦しそうでした。これから緊急で公証人の出張を手配しても間に合わないでしょう。行政書士は、夫から捺印と「よろしくお願いいたします」という言葉をもらい、その日は帰りました。これで最低限、妻を守ることはできました。(前妻とのお子さん達には『遺留分』は渡さないといけませんが)その3日後、夫は天国へ旅立ったのです。これから行政書士は、音信不通になった前妻との間の子どもを戸籍から洗いだし連絡をつけ、遺産分割協議書を作成しなくてはなりません。
私自身、相続診断士として幸子さんの夫の様な話はよく耳にします。病気が重くなったり高齢になったりすると、本人も家族も『遺言書』の話はしづらいものです。しかし、余命1月をきる宣言をされると逆に遺言書を書きたくなるものなのか特急で依頼がきます。しかし、そんな時はできるのはわずかなことのみです。家族に想いがあるのなら、元気なうちに、遅くても70歳までには遺言書は書いて頂きたいですね。(遺言書は書き直すことができます)