ここにはあるはずのない遺言
2022年夏の日、私たち、遺品整理業者にとって、とても忘れられない日になった。
神奈川県横須賀市の遺品整理と遺品買取の現場。
依頼者は、おひりさまで長く認知症を患っていた故人A子さんの長女B子さん。
ご自宅の物量自体は、綺麗に整理されており、多くはなかったのですが、大きな洋館といった佇まいで3日間にわたって心を込めて作業しました。
思い出の品や大切なものは、ほとんどB子さん一人で整理されていました。
後から聞いた話だと、故人A子さんの終活のほぼ全てをB子さんがやっていて、その事がきっかけで次女C子さんと、弁護士を入れるほど、遺産相続の分配で揉めていたとの事。
作業最終日、滞りなく不用品やご供養品、買取品なども丁寧に作業し、最後にお仏壇を移動する際、お仏壇の下奥のそれまた奥の方、本当にしっかりと目を凝らさなければ分からない窪みの様な箇所に、ひっそりと置かれている手紙らしきものを見つけたのです。
それは、故人A子さんが生前、お二人に残されていた遺言でした。
私たちは直ぐにご依頼者のB子さんに遺言があった旨を伝え、作業終了時、作業報告書とご自宅にあった幾らかの金銭と共にそちらの遺言をお渡ししました。
数日後、相続人の方々と遺言に目を通されたB子さんは、すぐに私にお電話くださり、
「本当に有難う御座います。私、実は妹と遺産分割で、もめていたのですが、母が残してくれたこの遺言通り分配出来ないか、ちょっと話し合ってみます」
と、話された後、堰を切ったように泣きじゃくっておられました。
なぜ、そこまで大泣きされたのかは、電話越しでは分からず、よほど心を打つ内容だったんだろうというくらいにしか想像できなかったのを今でも覚えています。
私たち、遺品整理業者は、本来ここから先のプライバシーには、積極的には関わらないものですが、その数週間後、B子さんから、お電話を頂き、その後のお話を教えてくださいました。
「今回は、本当に有難うございました。きっと母は天国から私たち姉妹を見ていて、この遺言を天国から届けてくださったんだと思います。だって私は仏壇の周りもきちんと探したんですもの。
そもそも母は、お父さんが亡くなってからすぐの1年後くらいに認知症になって10年戦ってきて、最後はもう私が誰だかも分からなかったんです。
書き残しておけるタイミングなんて私が知る限り無かったはずですし、今でもこの遺言は、本当に母が書いたものなのかと思ってしまうほどです。」
母の遺言とその付言事項を一部(数字部分を除いて)抜粋すると、今にも消えいりそうな字で、
「B子には、おじいちゃんの代から受け継いだ土地と家、現金7割を。C子には、現金3割を。」
「B子は、家族もあり、子供も3人いて、家も私と一緒に住んでくれて、きっと私の最後のお世話を、率先してやってくれているでしょう。」
「C子は、自由きままな人生が大好きなのよね。私は応援しているからね。このお金が少しでもC子の人生に役立ってくれると嬉しいわ。」
「金額に差はあるけど、私の2人に対する愛情に差は一つもありません。私は2人の母で本当によかった。楽しい人生を本当に有難う。沢山世話をさせてくれて有難う。私がいなくなった後もどうか2人で協力して、幸せな人生を歩んでください。 2人の愛娘は私の誇りです。 母より」
B子さんと、C子さんは、お母さんの思いに心を動かされ、争いをやめ、和解に向けて話し合い、弁護士さんにも今回の経緯を説明して契約を解除してもらい、遺言通りに分配されることを納得されたとの事でした。
母の遺言のお陰で、もとの仲の良い姉妹に戻れたという事で、改めて感謝の思いを電話越しに嬉しそうに話されていました。
私たちの仕事は、端的にいうと確かにご自宅のお片付けをする、ただそれだけのお仕事です。
ですが、その先にある方々の思いやご家族、ご遺族、それぞれの物語にふれた時、この仕事に巡り会えて本当に良かったと心から思わされるのです。
A子さんが、遺書の中でお二人の娘さんをご自身の誇りと言われたように、私たちもまたこの仕事を誇りに思って、今日も明日も、相続の未来が少しでも明るくなるような、そんな仕事をしていこうと思います。